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懐かしの鎌倉197× [懐かしの写真]

ちょっとしたきっかけで、古~い写真を整理しました。その原因でもある鎌倉の(およそ30年程前の)写真を眺めていて、当時の思い出に浸っていましたが、どうせならブログへと、無謀な事を考えました。
当時はカラーで大量の写真を撮ることは金銭的に不可能でしたから全て白黒です。かなり古いネガから起したので、画質は厳しいです。(初めに言い訳しとかないと・・・)
ついでに、あまりに古く、カメラも2台(PENTAX SP,SV)使っていたと思いますので、細かい場所の記憶は定かではありません。雰囲気だけでご勘弁を。

Photo1 横浜駅
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さすがにこの当時でもあまり古さは感じさせませんね。都会の駅です。

Photo2 北鎌倉駅
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JR東日本横須賀線の駅で、こちらは見事なローカル駅。線路を横断して改札へ行きます。構内踏切が付いたこと以外は、この当時から変わっていないんですね。

Photo3 北鎌倉駅前
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ほとんど何もありません。車が年代を物語っていますね。
さあ、これからお寺巡りの始まりです。
 
Photo4-6 東慶寺

最初に向かった東慶寺(とうけいじ)は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある臨済宗円覚寺派の寺院です。
北鎌倉の駅から徒歩3分、非常に近いところにあります。
鎌倉幕府第9代執権北条貞時が、弘安8年(1285年)に、尼寺として建立したそうです。現在は男僧の寺ですが、明治36年(1903年)までは代々尼寺だったそうです。
お寺の名前より、「縁切寺」「駆け込み寺」縁切り寺としての方が有名ですよね。江戸時代、離婚請求権は夫の側のみで、夫と縁を切りたい女性は、当寺で数年間修行をすれば離婚が認められるという「縁切寺法」という制度があったそうです。この制度は、女性からの離婚請求権が認められるようになる明治6年(1872年)まで続いたんですね。
でも、そんなことと、アジサイには何の関係も無いですよね。綺麗に咲いていた記憶があります。
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Photo7-11 浄智寺

次の浄智寺(じょうちじ)は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある禅宗の寺院で、臨済宗円覚寺派に属し、本尊は阿弥陀如来・釈迦如来・弥勒如来の三世仏で、各々過去・現在・未来を象徴するそうです。
弘安6年(1283年)に北条時宗により創建され、大正12年(1923年)の関東大震災でその大部分が倒壊、こんにちの伽藍は概ね昭和になってから復興されたそうです。
参道は砂岩の一種である鎌倉石で舗装されており、まず最初の外門の額には「宝所在近」の文字が書いてあります。これは経文にある言葉で「立派なお坊さんになるために努力をしなさい。」という意味らしいです。ネットで見ると、今の外門はお札なんか無くて綺麗ですし、周りも広いですね。
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重層一間一戸の三門は、上層が鐘楼を兼ねている珍しい形式のもの(鐘楼門)で、花頭窓をあしらった中国風の意匠が特徴だそうです。近年この門は全面的に改築されてまったく新しくなってしまったそうですが、この写真は当然前のものです。 740600kamakura-10.jpg
鐘楼門をくぐったところに、本尊の三世仏を安置する曇華殿(仏殿)があります。
境内は樹木が豊かで起伏に富み、江ノ島鎌倉七福神の一である布袋尊の石像をまつる洞窟もあり、境内入り口にある湧き水は鎌倉十井のひとつ「甘露の井」です。
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Photo12 明月院

神奈川県鎌倉市にある臨済宗建長寺派の寺院で、永暦元年(1160年)建立。
アジサイの名所として知られ、「あじさい寺」の通称がありますが、この寺でアジサイを植えたのはさほど古い事ではなく、「手入れが比較的楽だから」という理由で植えたものが次第に有名になったそうです。
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Photo13

ここから鎌倉宮に移動です。距離があったためバスを待っているところです。たまたま、通った車を撮りました。これってワーゲンポルシェ914じゃないかな?当時は憧れの車でした。
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Photo14-16 鎌倉宮

鎌倉宮(かまくらぐう)は、神奈川県鎌倉市にある神社で、護良親王(もりながしんのう)を祭神とする 建武中興十五社の一社。別名 大塔宮(おおとうのみや)。
武家から天皇中心の社会へ復帰させることを目的とした建武中興に尽力した親王の功を賛え、明治2年(1869年)2月、明治天皇は護良親王を祀る神社の造営を命じ、6月14日に鎌倉宮の社号が下賜され、7月に東光寺跡の現在地に社殿が造営されたそうです。
広い駐車場から正面の階段を上がり、白い鳥居をくぐると本殿があります。この辺りは、当時も今もあまり変わっていないみたいですね。写真に写っているのは当時の僕を含め、旅行クラブのメンバーです。さすがに若いですね。
ちなみに、本殿の後方にある土手の穴が、親王がおよそ9か月間幽閉されていた土牢であるという古伝承があるらしいです。
最後の写真は園内にいたものだと思います。鹿とヤギですかね?餌の取り合いが始まりました。
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Photo17-33 瑞泉寺

神奈川県鎌倉市二階堂にある臨済宗円覚寺派の寺院で、鎌倉随一の花の寺、紅葉の名所としても知られているようです。
鎌倉幕府の重臣であった二階堂道蘊が嘉暦2年(1327年)創建した寺で、当初は瑞泉院と号したそうです。

参道は大きな木に囲まれた、かなり趣のある石段です。
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瑞泉寺は、文学や学問とゆかりの深い寺でもあり、鎌倉時代には五山文学の拠点として栄え、近世には徳川光圀がここで『新編鎌倉志』の編纂をさせたといわれており、境内には、吉田松陰などの碑があります。 740600kamakura-20.jpg
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石庭も有名だそうですが、
当時はまだ工事中?でした。
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最後に、

当時、憧れの

先輩の写真

など・・・。
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ryo

>CoDoMo茸さん,takagakiさん

”nice”ありがとうございます。
by ryo (2008-06-24 02:01) 

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